2017年1月23日月曜日

歴史・史跡の宝庫~花岡山~

こんにちは観光・郷土情報センターのえびさです(^ ^)ノシ

先日肥後の梅太郎さんにガイドしてもらい、花岡山を登ってきました♪
ご近所だけど、まだ一度も訪れたことがなかったのでわくわくです。

熊本駅新幹線口から出発(o´▽`)ノエイエイオー 


加藤清正公の時代。花岡山は熊本城築城のための石切り場でした。
その石を運んでいた坂を登ります。
登る方を「地獄坂」下る方は「極楽坂」と呼ぶそうです。
・・・ということはここから「地獄」か(^ ^;)

ここまでは割と平気♪
こちらは「阿蘇殿松跡」。まだ12歳だった阿蘇惟光が非業の死をとげた場所と言われています。
次の登りもまだ大丈夫☆
「砲座の跡」に到着です。西南戦争の際、薩摩軍が熊本城をうつために大砲を設置した場所。当時は今ほど大きな建物はまわりになかっただろうから、見晴らしがよかったんでしょうね。

う~ん。そろそろ・・・
il||li( ;;´・д`)やばい・・・
梅太郎さん「大丈夫ですか?車用の迂回路もありますよ」←とても心配そう
か・・・(ぜぇぜぇ) かい・・・(はぁはぁ) 階段でお願いします(๑ÒωÓ๑)キリーン

ツイタ―゚.+(〃ノωノ)゚.+°―!!
もうすでに体のあちこちが痛いのは内緒です。
ネール首相から寄贈された「仏舎利」がまぶしい。
そして振り返ると・・・
絶景!!
この日は写真の通り、あまりお天気が良くなかったのですが
結構見晴らし良かったです♪
リフレッシュしたところで、今回一番見てみたかった史跡へ。


加藤清正公が座ったとされる「腰掛石」
ぼこぼこっとくぼみがあるのが伝わるかな?
原石を割った時の矢穴なんだそうです。

続いて清正公が兜をかけていたとされる「兜石」
ぽっこりと出っ張っていてちょうどいい感じですね。

最後は「熊本バンド奉教の碑」
明治9年に熊本洋学校生徒の有志35人が奉教趣意書をささげた場所です。
今でも1月30日に信徒の集まりが行われています。

「この奥にも史跡があるんですよ(^ ^)」
と下調べバッチリな梅太郎さんに連れられてさらに奥へ。
ふふ。もう頂上だからあとは下るばかり(-ω)キラーン

清正公の「鐘掛松跡」を正面に見て、右側に進むとカメラに収まりきれない程の
大きな鳥居が現れました!!
柱もふとかな~(大きいな~)
そちらをくぐると・・・

「八枚石」
崖面に八枚の大きな岩が重なっています。
麓から見たら、鳥居とあいまって壮大な光景になりそうですね。
「清正公がこちらの岩を切りだそうとしたところ山上の狐がそれをやめさせた」
という伝説があるんだとか。だから鳥居が赤いのかな?

花岡山散策に便利なマップを当館でも取り扱っています♪
是非遊びに来て下さいね(^ ^)ノ

※花岡山は地震の影響で石碑や鳥居がくずれていたり、足元が滑りやすかったりする箇所が
ございます。

お出かけの際は

①自分のコンディションと相談して
②お友達とご一緒される

ことをおすすめします。