2016年9月29日木曜日

神風連の乱の石碑

こんにちは♬
観光・郷土情報センター 肥後の梅太郎です

今回は、熊本城内にある神風連の乱(しんぷうれんのらん)の痕跡を一部ご紹介します(^v^)

神風連の乱とは、1876(明治9)年に熊本市で起こった士族の反乱です。
明治政府の欧化政策や、廃刀令などに反対する旧武士が中心となり反乱を起こしました。

当時、熊本城には熊本鎮台(明治政府の軍隊)があったため、
神風連(敬神党)は熊本城を襲撃します。
二の丸駐車場の入口付近に、「神風連討入口」の碑があります。
1876年10月24日深夜、ここから討ち入ったんですね(゜o゜)

二の丸駐車場をどんどん進んで行くと・・・
二の丸広場の入口には、「神風連 加屋霽堅 斎藤求三郎 等戦死之碑」があります。

加屋霽堅(かやはるかた)と斎藤求三郎(さいとうきゅうさぶろう)は、
神風連(敬神党)の中心人物です。

当時二の丸広場には、歩兵隊営舎があったそうです。はじめは勢いがあり砲兵営を制圧しましたが、翌朝になると政府軍が態勢を立て直し本格的に反撃を開始。この時、加屋と斎藤は銃撃を受けて
死亡しました。

神風連の乱が、翌年の明治10年に起こる西南戦争へとつながっていきます。

熊本城の歴史って深い!!(。・ω・。)

みなさんも、熊本城を訪れる際は石碑を探してみてください(^v^)